割と毒舌・辛辣。
by turtle1980
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母校、解体へ~大崎市立古川東中学校~
誰もが経験する「卒業式」。
本気で目頭が熱くなったのは、思えば中学校の時だけだったと思います。
小学校時代は「お受験」とはまっっったく無縁、同級生がほぼ全員同じ公立中学校へ進学するという状態だったので、「卒業」の意味を理解するには幼すぎたと思われ・・・高校時代は進学校だったため「ようやく解放される・・・」という安堵感、「卒業式」と言うよりは「シャバに出る」という気持ちが強かった気がします。言わば暗黒時代の終焉。そして大学時代は・・・どうだったんだろう、学生時代が終わり、「社会人になる」「働く」ということに対する70%の不安と30%の期待であまり余裕はなかったような、気がします。
そういう意味では、中学校の卒業式が初めての人生の分岐点・・・特に僕は「部活動、命!」な3年間を過ごしたので・・・一緒に汗を流したメンバーたちと進学先もそれぞれ異なり、バラバラになっていく・・・。そんな「別れの寂しさ」と「3年間の思い出」が胸に込み上げ、実際泣きはしなかったけど、ジーンと目頭が熱くなった・・・んー、セイシュンっすなー。汚れたオッサンになりつつある僕にもそんな時代はあったんだ。(自己陶酔中のため、すでに汚れてるだろう、オッサンだろうというツッコミは耳に入りません)
そんな中学校3年間を過ごした我が母校、宮城県大崎市立古川東中学校がこのたびの東日本大震災で被災し、解体・建て替えされるという話が飛び込んできました。自分が過ごしたあの空間、校内の雰囲気、同級生の顔・・・次々と心に蘇ってきて、いてもたってもいられない気持ちになり、・・・行って来ました。
当然ながら人っこ一人いねぇ。静寂。
登校したら自転車置き場に自転車を止め・・・
この昇降口で靴を履き替えて教室へ・・・さぁ一日の始まり。その前に体育館に直行して部活の朝練に参加しないとね!
「ウィース!オハヨーございまっす!」
朝、一汗かいて授業を軽く聞き流し、放課後はまた部活だワー!
この校庭にもお世話になりました。
本当は校舎内も見たかったけど、危険区域に指定されてしまったため中には誰も入ることが出来ません。先生や生徒たちはひとまず学校となりにある市の体育館で過ごしており、近日中に仮設のプレハブ校舎を市内3ヶ所程度に造る計画、とか。(現時点で聞いた情報ですので今後変更等あるかも知れません)
学校自体がなくなるわけではありません。廃校になったわけではないのだから名前もそのまま残るし・・・ただこの校舎が解体されるというだけで。おそらく耐震性とそれなりのデザイン性を兼ね備えた新しい「大崎市立古川東中学校」が造られることでしょう。
でも、やはり僕にとっての母校は、上の写真の・・・この校舎なんですよ。
それがなくなるというのは、こうなった以上仕方のないこととは言え、やはり、寂しいです。
この程度のこと、岩手や宮城の沿岸部の被害の深刻さに比べたら些細なこと。
校舎どころか帰る家、迎えてくれる家族、共に学んだ同級生・・・かけがえのないものを失った方々はたくさんいらっしゃるわけですから・・・でも、そんな些細なことだけど、やはり僕の心には、先日書いた自宅のフナの件含め、なんちゅうか、ぽっかりと喪失感が込み上げてくるのです。
それでも時は経ち、震災から早一ヶ月。
実家の梅の花は満開、春の訪れです。
本気で目頭が熱くなったのは、思えば中学校の時だけだったと思います。
小学校時代は「お受験」とはまっっったく無縁、同級生がほぼ全員同じ公立中学校へ進学するという状態だったので、「卒業」の意味を理解するには幼すぎたと思われ・・・高校時代は進学校だったため「ようやく解放される・・・」という安堵感、「卒業式」と言うよりは「シャバに出る」という気持ちが強かった気がします。言わば暗黒時代の終焉。そして大学時代は・・・どうだったんだろう、学生時代が終わり、「社会人になる」「働く」ということに対する70%の不安と30%の期待であまり余裕はなかったような、気がします。
そういう意味では、中学校の卒業式が初めての人生の分岐点・・・特に僕は「部活動、命!」な3年間を過ごしたので・・・一緒に汗を流したメンバーたちと進学先もそれぞれ異なり、バラバラになっていく・・・。そんな「別れの寂しさ」と「3年間の思い出」が胸に込み上げ、実際泣きはしなかったけど、ジーンと目頭が熱くなった・・・んー、セイシュンっすなー。汚れたオッサンになりつつある僕にもそんな時代はあったんだ。(自己陶酔中のため、すでに汚れてるだろう、オッサンだろうというツッコミは耳に入りません)
そんな中学校3年間を過ごした我が母校、宮城県大崎市立古川東中学校がこのたびの東日本大震災で被災し、解体・建て替えされるという話が飛び込んできました。自分が過ごしたあの空間、校内の雰囲気、同級生の顔・・・次々と心に蘇ってきて、いてもたってもいられない気持ちになり、・・・行って来ました。
当然ながら人っこ一人いねぇ。静寂。
登校したら自転車置き場に自転車を止め・・・
この昇降口で靴を履き替えて教室へ・・・さぁ一日の始まり。その前に体育館に直行して部活の朝練に参加しないとね!
「ウィース!オハヨーございまっす!」
朝、一汗かいて授業を軽く聞き流し、放課後はまた部活だワー!
この校庭にもお世話になりました。
本当は校舎内も見たかったけど、危険区域に指定されてしまったため中には誰も入ることが出来ません。先生や生徒たちはひとまず学校となりにある市の体育館で過ごしており、近日中に仮設のプレハブ校舎を市内3ヶ所程度に造る計画、とか。(現時点で聞いた情報ですので今後変更等あるかも知れません)
学校自体がなくなるわけではありません。廃校になったわけではないのだから名前もそのまま残るし・・・ただこの校舎が解体されるというだけで。おそらく耐震性とそれなりのデザイン性を兼ね備えた新しい「大崎市立古川東中学校」が造られることでしょう。
でも、やはり僕にとっての母校は、上の写真の・・・この校舎なんですよ。
それがなくなるというのは、こうなった以上仕方のないこととは言え、やはり、寂しいです。
この程度のこと、岩手や宮城の沿岸部の被害の深刻さに比べたら些細なこと。
校舎どころか帰る家、迎えてくれる家族、共に学んだ同級生・・・かけがえのないものを失った方々はたくさんいらっしゃるわけですから・・・でも、そんな些細なことだけど、やはり僕の心には、先日書いた自宅のフナの件含め、なんちゅうか、ぽっかりと喪失感が込み上げてくるのです。
それでも時は経ち、震災から早一ヶ月。
実家の梅の花は満開、春の訪れです。
by turtle1980
| 2011-04-12 23:07
| 2011.3.11東日本大震災
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