割と毒舌・辛辣。


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カテゴリ:2011.3.11東日本大震災( 10 )

放射性物質拡散予測、ですか。

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昨日の朝刊一面で、でででーんと。
ほうほう、もし福島のような原発事故が起こったら、放射性物質は周辺地域にこんな風に広がりますよ、って。なるほどなるほど。

で、このシュミレーションの目的って何なんですかね??
こんなことしてる時点で、再稼働を前提としてるように思えてならないんですよ。

「そこの原発、再稼働しますけどね、もし事故が起こったら、最悪の場合、この範囲の方々は避難してもらいますからね。で、その後は家には戻れませんからね、覚えといてね」

って、暗に言ってるようなもんじゃないですか。
そのことに何の意味があるんですか?まさか事故発生後に「前もって言ってたでしょ?」ってこともなげにのたまうとか?いくらなんでも、まさかあんた方、そこまで腐りきって、ないよね?と、誰にともなく問うてみる。

結局は、なんとなーく安全対策してるように見せかけたいだけでしょう。「ほら、事故発生した場合のシュミレーションしてますよ。だから再稼働しても大丈夫ですよ」って。

・・・いや、それ対策じゃねーだろ、と。
帰れないんですよ。人、住めなくなるんですよ。国土を失うことになるんですよ。

福島の事故以来、河北新報朝刊には「宮城・福島各地域の前日の空間放射線量」とやらが掲載されるようになりました。
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事故発生前は福島県・宮城県内の空間放射線量最大値はそれぞれ0.04マイクロシーベルト、0.05マイクロシーベルトでした。昨日は宮城県〇〇では0.17でした、××では0.15でした、△△では・・・これが毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日・・・

もう毎日のことで感覚が慣れつつあるけど、よく考えたらこの状況、異常でしょう!?何が美しい国日本だよ。これのどこが!?ねぇ!?
その辺り、ちゃんと分かってるのか?

放射性物質拡散予測なんて、こんな原発継続を前提としたシュミレーション、無意味とは言わないけれど、それよりも、・・・たとえば廃炉にした場合の電力需給予測とか、廃炉作業の工程シュミレーションとか。そっちの方がよほど有意義だと思うのですが。

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by turtle1980 | 2012-10-26 14:38 | 2011.3.11東日本大震災

2×××年の教科書より。

「2011年3月11日に起こった東日本大震災は津波による甚大な被害をもたらしただけでなく、福島県にある原子力発電所において史上最大規模の事故を起こし、多大な被害をもたらした。これを契機に国民の間に「原子力神話」への不安や疑念が生まれ、一部では反原発の動きも活発化した。しかしながら時の民主党政権はそういった国民の声に耳を傾けず、不都合な情報を隠蔽し事故の被害を拡大させただけでなく、従来の経済成長優先の方針に固執した。そして事故収束の目途も全く立っていない中、抜本的な改善を図ることなく他の地域の原子力発電の運転を再開、20××年×月に起こった新たな巨大地震により、再び大規模な原子力災害を発生させ、日本は国土の大半を失うこととなった。」

よく政治家は「私の政策は、後世の評価に任せる」とか言うけど、現状を見ている限り、将来の教科書にはこんな風に記述されるんじゃないか・・・と同時代に生きた人間の一人として強い不安に駆られます。仮に、の話ですよ?後半は僕の創作ですが、仮に歴史の教科書に冒頭のような記述があったとしたら・・・××年後の子供たちはどんな風に2012年の日本を評価するんでしょうね。

有史以降、世界各地で数多の国や王朝が短ければ数十年から百年程度、長ければ千年もの間隔で次々と生まれては滅び、また生まれては滅び・・・を繰り返して、今に至るわけですよね。興国当初は順調だったとしても、ある時期に国力のピークを迎えた後、たとえば宗教の違いによる争いだったり、他国との大規模な戦争だったり、政治の腐敗への怒りに起因する一般民衆の反乱だったり、閉塞感に包まれた中で現れたカリスマ的人物を中心とした政治活動だったり・・・いろいろな理由で一つの時代が終わりを迎え、また次なる国が生まれる。

今の日本は、元号としては明治・大正・昭和・平成・・・と続いていますが、史学的に見れば、第二次世界大戦の前後で大きな体制の変化、すなわち軍国主義から民主主義への転換が行われた・・・そういった意味で戦前と戦後では別々の「時代」として区切ることができるのではないか、と僕は思います。
そう考えると、(適当な表現が思いつかないので、あえてこのように表現しますが)「新」日本としての歴史は65年程、史学的にみたらまだまだヒヨッコですよ。このたった60年程度の歴史の中で高度経済成長・バブルという一つの国力のピークを迎え、その後は常に「不景気」という文字が付きまとう20年を過ごしてきたヒヨッコ国家。そこに起きた2011年3月11日の東日本大震災。このままジリジリと右肩下がりで一つの時代を終えるのか、はたまた盛り返していくのか、今はその分岐路にあるのではないか、と思うのです。

その分岐路で、大きな選択となる一つが原子力発電、だと僕は思います。
今回の福島県の事故後、僕の住む宮城県の地元紙「河北新報」では毎日放射線量情報が掲載されるようになりました。
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これによると、僕の住む地域は0.06マイクロシーベルト。たまにプラスマイナス0.01程度の変動はありますが、大体0.06で一定しています。この数値がが高いのか低いのか?局所的に高線量の地域はないのだろうか?事故前は0.05マイクロシーベルトが最大値だったというけれど、今はその最大値を超えた値が通常のものになっている、そのことによる影響はないのか?山菜等の採取を自粛するよう報道されているけど、食べ物や水は安全なのか?
そもそも、どうしてこんな記事が毎日掲載されるような日常になってしまったのか。

不安なことをあげればキリがないので僕はあまり気にせず普段通りの生活をしていますが、それでも無味無臭、色も形もない不気味なものに浸食されているような気持ち悪さは・・・どうしても感じてしまいます。でもそういったことを踏まえて、慣れ親しんだ地域に、自宅に留まることを選んでいるのは僕自身ですから後悔はしていません。

ですが、3月に南相馬市に行き・・・このブログにも書きましたが(今読み返すと感情剥き出し・赤裸々すぎて少し恥ずかしいけど、これが当時の僕の本心だったのでそのまんまにしておきます)、この現状を見る限り、原子力発電は間違っていたとしか思えないんですよ。再稼働?考えられないでしょう。総理大臣は下のようにおっしゃっておりますが・・・

野田総理大臣:「立地自治体のご判断が得られれば、それをもって最終的にはこの4大臣会合でしっかり議論し、最終的には総理大臣である私の責任で判断を行いたいと思います」(2012年5月30日)

何かあった場合、どのような形で「責任」とやらをとるのか、具体的に示してほしい。広大な土地をいつ終わるとも知れない、そもそも可能だとも思えない「除染」とやらに青天井に税金つぎ込みますか?それともお金払って住民に移住してもらいますか?僕自身経験したわけじゃないから「気持ちは分かる」なんて軽々しく言えないけれど、住み慣れた土地や家屋、故郷の空気、営んできた生活、日常・・・そういったものを失う喪失感は、とてもじゃないがお金で解決できるものじゃないですよ。原発がないと電力不足で経済が滞る?仮にそうだとしても、それぞれの命や、健康や、生活があっての経済活動・企業活動でしょう。人類の力では解決しようのない危険と隣り合わせの経済活動なんて、本末転倒も甚だしいと思うのです。

「責任」という言葉がこんなにも軽薄に思えたことはないです。

何かあった際、「責任」を追及、最終的にその人を戦犯として吊し上げて死刑にしたって、その人が死んだって事故前の故郷が戻ってくるわけじゃない。汚染された現状は何も変わらないでしょう。

「責任」なんてとりようがないじゃないですか。


それでも再稼働を断行しようとするなら、総理大臣、枝野経済産業相、細野原発相、藤村官房長官、そして下の動画でおちゃらけてる醜悪な議員さんたち、再稼働に血眼な電力会社重鎮・・・その他再稼働に与した人々、何かあった場合にどうやって「責任」をとるのか、具体的に示せ。それがまず最初に果たすべき「責任」だろう。そして万一何かあった場合「想定外」なんて口が裂けても言うなよ。



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by turtle1980 | 2012-05-31 10:49 | 2011.3.11東日本大震災

南相馬市にて。-2012.3.13-

今、机の引き出しの奥底から、2007年当時に使っていた手帳を引っ張り出してきました。
これには、何かの間違いでガラにもなく営業職をしていた日々の予定が書きこまれています。

当時、僕は宮城県と福島県を中心に東北6県を走り回ってました。
福島、郡山、会津若松、いわき・・・比較的規模の大きい市だけじゃなく、白河、須賀川、喜多方、二本松、棚倉、塙、西会津、相馬、三春、小野、新地、国見・・・思い出せば次々と頭の中に浮かんでくる地名、と同時に、おぼろげながら現地の風景、営業先の相手も。なんだかんだ言って、けっこう隅々まで走り回ったなー・・・なんて。自分にとって福島県は、生まれ育った故郷ではないけれど、思い入れのある特別な地なんだよなーって、懐かしさとともに思うのです。それと、大学時代に一人暮らししてた埼玉県和光市も!昨年、4年ぶりに行ったんだけど、もうさ、駅前の雰囲気とかイトーヨーカドーとか、全然変わってないの!歩いてるうちにまだここで暮らしてる感覚に・・・(以下略)

ちょっと話がずれた。
そんなわけで(どんなわけで?)、昨日、南相馬市に行ってきました。
当時の仕事を退職して以来だから、4年ぶりくらい、かな。
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おっと、懐かしき営業先の一つ、南相馬市民文化会館、ゆめはっと。
当時の(あまり思い出したくない失敗の)記憶が・・・;;;

でも、久々に見る光景、断片的な記憶が少しずつつながっていく感覚。
「あー、ここで飯食った!」とか「ここでサボったっけ(笑)」とか。
懐かしいな、と思う反面、あの時とは違う、決定的に。

当時はこの看板を見て、胸を締め付けられるような感覚に襲われるような未来、・・・今現在・・・が待っているなんて思いもよらなかった。
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こんなものが、市役所の前に設置されて日常風景の一つになる未来が待っているなんて、想像だにしてなかった。
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ガソリンスタンド(エネオス限定!TSUTAYAのポイントがたまるから!)を探して、走行距離175,000キロ超のポンコ・・・いえ、素敵な愛車サニ子で国道6号線を南下中、・・・1.5キロ先は通行止め。この先は富岡町や浪江町が続いているのに。
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このあたりになると、もう国道沿いの店も閉まっているところが多くて、また、行き交う車も復旧作業車やトラックが多数、一般車はあまり走ってなかった。・・・どんどん非現実な現実に突っ込んでいくような、そしてさらに強まる胸をぎゅっと締め付けられる感覚。

テレビや新聞で報道による先入観はあったと思う、間違いなく。
それでも、・・・色も、臭いも、痛みも、何も感じない。けれど、得体の知れないものに追い詰められているような感覚は滞在時間中、ずっと心にありました。そして、苦しかった。悲しかった。情けなかった。もう、なんつったらいいのか分かんないごちゃごちゃの気持ち。涙出た。この気持ち、やりばがなくて、運転しながらハンドルをギリギリと強く握りしめた。それでも気持ちがおさまんなくて、もう、ぶっちゃけちゃうけど、握りこぶしで車のガラス叩いたよ。32歳にもなるおっさんがすることじゃない、中二病かよって思うけど、もうむしゃくしゃして、どうしようもなかった。

なんでこんなことになったんだろう。
そして、1年前のあの日以前、自分は何でこんなに無関心だったんだろう。

僕の両親の故郷は岩手県釜石市です。
いつも大船渡や陸前高田を通って向かうのですが、「被災地」・・・行くたびに改めて被害の甚大さに打ちのめされ、そして震災前の風景をだんだんと思い出せなくなってきていることに気づいて、気持ちが沈みます。うまく表現できないこの気持ち、あえて言葉にするなら罪悪感、なんだろうか。この気持ちは1年前よりも今の方が強まっている。時が経つにつれて、そして釜石へ行くその回数を重ねるごとに、目の前に広がる風景を見るごとに、気持ちは強くなっています。

この気持ちとは、また違った気持ちを昨日、南相馬市で抱きました。
同じ「被災地」でも福島とそれ以外の地域では意味が違うんですよね、根本的に。
目の前はほとんど変わっていないのに、あの日を境に決定的に「変わってしまった」という絶望。

「ストレステストの内容の是非」とか「老朽化した原発をどうするか」とか「運転年数を最長どのくらいに設定するのか」とか・・・ふざけんな、と思うのです。あろうことか野田首相は3月11日の記者会見で「(原発再稼働に向けて)政府をあげて説得する。私が先頭に立たなければならない」・・・なんで、この日に、こんなことをのたまうわけ?そもそも議論の出発点が違う。ストレステストだの運転年数だの、なぜ再稼働ありきなのか。前提って、そこじゃないだろう、と。原発利権だの、カネだの、正直、僕はあまりよく分かっていません、お恥ずかしながら。でも、こういう事故が起き、福島県に起きた事態をみれば、これまで歩んできた方向性が間違っていたことは明らかでしょう?ここが議論の出発点なんじゃないの?これってうちで同居してるラブリーなカメ2匹でも分かる当然の話だと思うんですけど。いまだに原発を推進している人は福島の、浜通りの今を見てみろよ、現地に来て肌で感じてみろよ、と。自分の故郷に置き換えてみろよ、家族や友達、大切な人がもしこの地に住んでいたらと想像してみろよ。そんな想像力すら持ち合わせていないなら、もう人間やめちまえ、さっさとおかくれあそばせ!くらい思います。

論理的思考力にはあまり恵まれていない感情中心の人間が、昨日南相馬市で感じたことです。
長々とすんませんでした。

夕暮れ時、南相馬市役所の近くの橋の上から。
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2007年、楢葉町のJヴィレッジで手帳にポンと記念スタンプ。
今はここが原発事故対応の拠点とされているということがとても悲しい。悔しい。
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特集/3.11東日本大震災から1年…いま思うこと

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by turtle1980 | 2012-03-14 10:11 | 2011.3.11東日本大震災

岩手県釜石市・大船渡市へ行ってきました。

昨日、今回の東日本大震災で甚大な被害を受けた岩手県釜石市へ行ってきました。
今年の1月にこのブログで紹介しましたが、岩手県釜石市は僕の両親の故郷でして。

※参考※
1月16日更新「漁村に猫がやってきた①」
1月18日更新「漁村に猫がやってきた②」

津波で住居や店舗を流された人はいるものの、僕の親戚は全員無事でした。先月に両親が二人で親戚たちの様子を見に行き、自分たちの故郷に刻まれた津波の傷跡の深さに絶句、「もう何も言えない・・・」と肩を落として帰って来たのですが、今回、僕も同行し・・・本当に、同じ気持ち、言葉にならなかった、です。

1月に上記の記事の中で掲載したこの風景も、もうありません。
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きつい坂道になっており、住民たちは坂上へ避難したのでこの集落からは人的な被害はなかったのですが、海に近いところに建っていた家々が津波に飲み込まれてしまい・・・1月に紹介した猫たちの姿も、今回はありませんでした。異変に気付いて山の方へ逃げていてくれればいいのですが。

1月に更新した際には紹介しきれずPCの中でお蔵入りしていたのですが、釜石市大石地区の全体写真です。本当に小さな集落ですが、海と山に囲まれた自然豊かな場所、そして母親が生まれ育った場所です。
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昨日、同じ場所からもう一度撮影しました。
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この2枚の写真、一見しただけでは大きく変わったようには見えないけれど、防波堤が壊れていたり、よく見ると、海沿いの民家が倒壊しているのも写っています。

釜石市内へも足を運びました。同じ市内でも被害状況は全く違っていており、外見上は全く無傷に見える地域もあれば、「跡形もない」という表現しかできないような地域・・・連日マスコミが報道している、まさにそのままの光景、その中で自衛隊や住民・ボランティアの方々が瓦礫の撤去作業を行っていました。先月両親が帰ってきたときに口にした「もう何も言えない・・・」、その言葉が僕自身も、ようやく、実感できたような気がします。デジカメも持っていたけれど、写真は撮れなかった。いや、撮りたくなかった。

僕自身はこの釜石市に住んだことはありません。ただ両親の故郷、祖父母や親戚が住んでおり、年に数度、盆や正月に行って皆で集まる・・・そういった意味では全く知らない場所ではないし、店や施設等、地理的にもある程度は知っているつもりでした。

でも、今回の津波で瓦礫となった街を見て・・・思い出せないのです、そこに何があったのか。今自分が立っているこの通りに、どんな店があったのか、どんな看板が出ていたのか・・・そんな目に見えるものだけでなく、雰囲気・空気感といった目に見えないものまで。一体、ここはどんな場所だったのか。・・・子どもの頃から何度も訪れた場所なのに、ぼんやりとして思い出せない。「自分は一体今まで何を見ていたんだろう」と自分自身に対する怒りすら感じました。「そこにあること」が当たり前で、それゆえに意識していなかったのか。でも“当たり前にあった”ものがもうない。そして記憶にもない、思い出せない。あまりにもなんにもなくて、ただただ悲しかった。
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我が家の代々のご先祖様が眠るお寺にも行きました。
地震で落下しかけた墓石を父親と二人がかりで直し、お彼岸の時に出来なかったお墓参り。一日でも早く復興がなされますように。ついでに(?)僕自身の失業のことも墓前に報告、この先、どうか見守ってくださいますように・・・と。(←「オイ!」とツッコミ入れたいけどかなり本気。もはや神頼みの域突入です・・・うがー、うがー、もう、ぎゃおーん!)

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以下、私信。その後、隣町の大船渡市へ移動し、ご自身も被災しながらも頑張っている大学の先輩すじこさんを訪問(お仕事中突然押しかけてすみませんでした!)。ご無事なのは知っていたけれど、数年ぶりの再会、そして頑張っていらっしゃるその姿に逆に元気をもらいました。本当に本当に大変な状況だとは思いますが、どうか健康にだけは気をつけて下さいね。
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by turtle1980 | 2011-04-27 22:39 | 2011.3.11東日本大震災

これからのこと。

どもです。
ここ最近はやはり震災に関する内容の更新ばかりで・・・実際、余震も日常的に続き、僕の家もいまだにガスが復旧せずお湯が使えない状態ではあるのですが・・・それよりも僕の住む地域よりも被害の甚大な地域のことを思うと、ガスごときなんじゃい、お湯が使えないくらいなんじゃい、・・・むしろ電気と水道が復旧し、生活が震災前に戻りつつある自分の置かれた環境に、なんと言うか、親戚や会社の同僚など、身近にも被災して大変な思いをしている人がたくさんいるのに、自分はなんじゃい・・・恵まれすぎなんじゃね?と、罪悪感のようなものを感じてしまいます。

でもそれはちょっと違うかもな、と。
被災地に対し思いを馳せることは大切。
復興のため、今の自分に出来ることを考え、行動することも大切。
でも同時に、自分自身の「これから」も見つめていかなければならないな、と、そんなことを思うようになりました。

テレビを観たり。(昨日から始まったドラマ「BOSS」は面白かった!天海祐希のコメディエンヌっぷりが最高です・・・あと、すみません、気のせいか釈由美子さん、お顔が変わってませんでしょうか・・・?)
音楽を聴いたり。(最近は桑田佳祐のアルバム「MUSIC MAN」とET-KINGがお気に入りです!運転時のお供は彼らでがす)
読書したり、絵を描いたり。(本屋の復旧が遅れ気味・・・ジュンク堂の再開を待ってます!3月25日発売の「TRANSIT」最新号、早く読みてぇぜ)
あ、7日夜の余震でまたしても部屋内が吹っ飛んだので(主に本棚)、片付けもしないと。

などなど。
自分自身の生活も大切にしながら、前を向いて、日々を過ごしていきたいと思います。
このブログも、震災のことも時には書きつつも、基本的には以前のようなくだらない内容に戻して、またマイペースで更新していきたいと思います。
うまく文章に出来ないけれど・・・今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
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by turtle1980 | 2011-04-15 22:45 | 2011.3.11東日本大震災

母校、解体へ~大崎市立古川東中学校~

誰もが経験する「卒業式」。
本気で目頭が熱くなったのは、思えば中学校の時だけだったと思います。

小学校時代は「お受験」とはまっっったく無縁、同級生がほぼ全員同じ公立中学校へ進学するという状態だったので、「卒業」の意味を理解するには幼すぎたと思われ・・・高校時代は進学校だったため「ようやく解放される・・・」という安堵感、「卒業式」と言うよりは「シャバに出る」という気持ちが強かった気がします。言わば暗黒時代の終焉。そして大学時代は・・・どうだったんだろう、学生時代が終わり、「社会人になる」「働く」ということに対する70%の不安と30%の期待であまり余裕はなかったような、気がします。

そういう意味では、中学校の卒業式が初めての人生の分岐点・・・特に僕は「部活動、命!」な3年間を過ごしたので・・・一緒に汗を流したメンバーたちと進学先もそれぞれ異なり、バラバラになっていく・・・。そんな「別れの寂しさ」と「3年間の思い出」が胸に込み上げ、実際泣きはしなかったけど、ジーンと目頭が熱くなった・・・んー、セイシュンっすなー。汚れたオッサンになりつつある僕にもそんな時代はあったんだ。(自己陶酔中のため、すでに汚れてるだろう、オッサンだろうというツッコミは耳に入りません)

そんな中学校3年間を過ごした我が母校、宮城県大崎市立古川東中学校がこのたびの東日本大震災で被災し、解体・建て替えされるという話が飛び込んできました。自分が過ごしたあの空間、校内の雰囲気、同級生の顔・・・次々と心に蘇ってきて、いてもたってもいられない気持ちになり、・・・行って来ました。
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当然ながら人っこ一人いねぇ。静寂。
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登校したら自転車置き場に自転車を止め・・・
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この昇降口で靴を履き替えて教室へ・・・さぁ一日の始まり。その前に体育館に直行して部活の朝練に参加しないとね!
「ウィース!オハヨーございまっす!」
朝、一汗かいて授業を軽く聞き流し、放課後はまた部活だワー!
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この校庭にもお世話になりました。

本当は校舎内も見たかったけど、危険区域に指定されてしまったため中には誰も入ることが出来ません。先生や生徒たちはひとまず学校となりにある市の体育館で過ごしており、近日中に仮設のプレハブ校舎を市内3ヶ所程度に造る計画、とか。(現時点で聞いた情報ですので今後変更等あるかも知れません)

学校自体がなくなるわけではありません。廃校になったわけではないのだから名前もそのまま残るし・・・ただこの校舎が解体されるというだけで。おそらく耐震性とそれなりのデザイン性を兼ね備えた新しい「大崎市立古川東中学校」が造られることでしょう。

でも、やはり僕にとっての母校は、上の写真の・・・この校舎なんですよ。
それがなくなるというのは、こうなった以上仕方のないこととは言え、やはり、寂しいです。

この程度のこと、岩手や宮城の沿岸部の被害の深刻さに比べたら些細なこと。
校舎どころか帰る家、迎えてくれる家族、共に学んだ同級生・・・かけがえのないものを失った方々はたくさんいらっしゃるわけですから・・・でも、そんな些細なことだけど、やはり僕の心には、先日書いた自宅のフナの件含め、なんちゅうか、ぽっかりと喪失感が込み上げてくるのです。
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それでも時は経ち、震災から早一ヶ月。
実家の梅の花は満開、春の訪れです。
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by turtle1980 | 2011-04-12 23:07 | 2011.3.11東日本大震災

ごめん。

小・中学校の頃、釣りが好きでした。
自宅近くに川があり、よく友達とフナやハヤ、タナゴなどを釣ったものです。
で、釣った魚を持ち帰り、家で飼っていました。

あれから20年ほど経った2011年も、当時のフナ3匹が家の玄関先の水槽でのんびり泳いでおりました。もっとも大学入学を機に家を出て一人暮らしを始め、普段の世話は父親任せ、たまに帰省した時にも「いるのが当たり前」のような感覚で、まったり泳いでいるのを見るだけの駄目飼い主でしたが・・・。

今回の地震で、水槽が倒れ、このフナが3匹、死にました。

先日、宅配便の方が来たとき、
「フナ、駄目だったんですね・・・立派なフナだったのに・・・」
とおっしゃってくれたそうです。
その話を聞いたとき、うまく言葉に出来ない空虚さが胸に去来しました。
家族だけじゃなく、ウチを訪れる人の心にも残ってたんだね。


今回の地震の犠牲者や行方不明者が日に日に増えていく最中、フナごとき、と言われるかも知れませんが、僕の身近なところでの、ちょっとした、でも、それでも悲しい出来事でした。
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探してみたけど、写真がこのくらいしか見つかりませんでした。
もうちょっと、写真、撮っといてあげれば良かったね。
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by turtle1980 | 2011-04-06 13:33 | 2011.3.11東日本大震災

改めて・・・

本日の休み。
ツイッターを開けてみました。
以前話題になった時にとりあえず登録だけはしたものの、使い方が分からず、何よりもPCで開こうとすると異常に重くて、結局そのまま放置しておりました。(誰か助けてください)

今日、距離を置いていたツイッターを開き、なんとかかんとか友人の皆様のページを見つけ、見てみました。
地震のとき、ツイッター上で東北のこと、私turtle1980のことを心配していただいていたことをこの目で見て、改めて感謝しました。また泣きそうになりました。
そして、心配していた大船渡地区のすじこさんが現地で頑張っている様子を初めて知り、またしても泣きそうになりました。

昨日、両親が自分たちの故郷である釜石へ日帰りで行ってきたそうです。
それでも営んでいた店や自宅が崩壊した方はいたものの、親戚は皆無事だったことに安堵しながらも、それでも変わり果てた町の様子に絶句しておりました。「もう何も言えない・・・」と。

仙台は駅前や町の中心部では少しずつコンビニやスーパーも開き、少ないながらも食べ物や日用品が手に入るようになってきました。
徐々にガスの復旧も始まり、僕の住む地域では少しずつ元の生活が戻ってくる気配を感じています。
ただそれでも同じ仙台市内でも地域によっては被害が甚大な地域も多々あり・・・今後はそういった地域に対して市としても、個人としてもどういったことが出来るのか。(先日仕事で海沿いの方へ行ったのですが、会社から3~4キロ海の方へへ行っただけで“別世界”でした。たった3~4キロ、うちの会社まで津波が来なかったことが不思議なくらいに。

何が言いたいのか、自分でもよく分からないのですが・・・
うまく言えないけれど、とにかく今は感謝です。
友人の皆様に。
(同じ仙台市内、自分の生活だって大変だろうに僕のことを心配して食料を届けてくれたポンコツ氏、もう、なんちゅうかホントに・・・・・・)

ホントにね、落ち着いたら会いに行くからね。
直接お礼を言いに行くからね。
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by turtle1980 | 2011-04-03 19:59 | 2011.3.11東日本大震災

2011年3月11日14時46分

2011年3月11日。
この日は本当に普通の一日でした。
朝起きて、普通に会社へ行き、仕事をし、・・・帰りはガソリンを給油して、明日は休みだからスーパー銭湯にでも寄ってのんびり疲れをとって・・・週末は気になっていた台湾映画「モンガに散る」を見て、それが終わったら近くで開催している平野千里という方の極彩色木彫の展覧会を観に行こう・・・そんなことを思っていました。

14時46分。
グラッときた。「あれ、ちょっと大きいかなー」なんて思っていたら、急に揺れが大きくなり。今まで味わったことのない揺れ、パッとパソコンの電源が切れ、社内の電気が消えて・・・「地震時は机の下に隠れなさい」なんて言われるけど、僕は出来なかった。ただただ机にしがみついて周囲の棚や書類が吹っ飛んでいくのを見てました。その間、社内の誰もが悲鳴一つ上げなかった。女性スタッフが「キャー」なんてそんなことも一切なく、沈黙の中、揺れがおさまるのを待っていた、のだと思います。

揺れがおさまった後は、電気もつかず、とりあえず事務所内の片付けだけして帰宅することになりました。帰る途中、信号が点灯しておらず、なんだか大変なことになったことだけは分かったけれど、本当に、情報がない。
頭上をヘリコプターが次々飛んでいくのを見ました。
昨日まで普通にやっていた店がぐちゃぐちゃに崩れているのを見ました。
コンビニに立ち寄り、真っ暗な店内、割れたお酒やジュースのビンが散乱している、その中から目に付いたお菓子など、腹の足しになりそうなものを買って帰宅しました。

家のドアを開けて目に入った光景。
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持っていたデジカメでフラッシュをたいて撮りました。
ケータイの液晶程度しか手元に明かりがない暗闇の中、部屋の中がどうなっているのかを知る唯一の手段がデジカメでフラッシュ撮影するということ。電気がつかず、非常時用の懐中電灯もなかったので、本当に、真っ暗。撮影した写真でしか、部屋の様子が分からなかった。カーテンを開け放って、そこからかろうじて入ってくる月明かりと、バッテリー切れ間近のケータイの液晶の明かりだけが唯一の“照明”でした。

とりあえず、夕飯として、コンビニで買ったベビースターラーメンを食べる。
このとき、僕のアパートで両親とも合流し、お互いの無事を確認。
電気だけでなく、水も、ガスもつかないことを知り、改めて、大変なことが起こっているようだ、ということを感じながら眠りに就きました。この時点では、ラジオもなく、津波で三陸沿岸の被害のことも、何も知らなかった。

朝、街並はあまり変わった様子はないけれど、やはり、ところどころ地割れや破損した建物など多々。
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嫌な感じの煙が立ち上がっている。なんだかシャレんなんないことが起こっている、気がした。
そして前日と同じく、頭上をヘリコプターがたくさん飛んでいく。

帰宅したら、新聞が届いており、それを通して、初めて、被害の大きさ、とんでもないことが起こった、現実とは思えない、映画みたいな、漫画みたいな、理解を超えた光景が紙面に大きく掲載されていました。

混乱した頭で、論理性のかけらもない、空っぽの頭で、いろいろ考えました。
大船渡に住む大学の先輩のこと、釜石に住む親戚たちのこと。
そして身近でも家を流された会社の同僚、家族の安否が分からないという同僚・・・仙台の友達、10年以上も会っていない中学、高校時代の友達の顔も浮かんできました。自分は生きているけれど、亡くなった人もいる。その生死を分けたものはなんだったんだろう。よく言われるけど「まだこの世で役目があるうちは人は死なない」のか。でも亡くなった祖母が「良い人、素晴らしい人は神仏が早くその傍らに呼びたくて、早死にするものだ」と言っていたことを不意に思い出したり・・・そんな宗教的なことも思いました。

今は水と電気が復旧し、自宅で生活しています。
ガスだけがまだ復旧しないためお湯は使えませんが、それでも仙台は少しずつ元に戻りつつあるような気がします。でも、今まで「当たり前」だったことが、実は「当たり前」じゃなかった、それだけは思いました。空っぽの頭でも、それだけは強く、強く実感しました。

もう、今回の地震のことはあまり書かないようにしようと思います。
周囲で起こった出来事が大きすぎるのか、うまく自分の中で整理が出来ません。
今回のことをこうやって文章にするには、まだ時間が必要、です。

ブログ自体は、また元に戻して更新していこうと思います。
新潟・長岡旅行記録もまだ途中ですし。
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by turtle1980 | 2011-03-27 19:57 | 2011.3.11東日本大震災

無事です!

このたびの地震の件で本当に、本当にたくさんの方々から安否確認や励まされるメールをいただきました。
地震直後から携帯が使えなくなり、ボヤボヤしているうちに充電が切れ連絡が取れない状態になってしまったのですが、僕も家族も無事です。
皆様からのメール、先ほど一気に40通近く受信し、全て読みまして…大袈裟じゃなく、涙出ました。
本当にありがとうございます。
本来なら皆様一人一人にご連絡をしたいところなのですが、現時点でまだ携帯の通信状況が不安定なため取り急ぎブログを通して生存報告させていただきます。
落ち着いたら、改めて皆様へご連絡したいと思います。

本当にありがとうございます。
取り急ぎ、ご連絡まで…
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by turtle1980 | 2011-03-14 12:41 | 2011.3.11東日本大震災

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